先日11月30日に、那覇市小禄南公民館 令和7年度市民講座【小禄の歴史と民俗】として『ウルク今昔 小禄村合併70周年』が開催されました。(戦後80周年記念事業)

今回の講座は、昨年那覇市歴史博物館で開催された『ウルク今昔 小禄村合併70周年』展を踏襲したもので、講師は那覇市歴史博物館 主任学芸員の伊集守道さんです。



以下、全部ではありませんが、講座の内容・様子をご紹介していきます。
古い歴史がある小禄 ~先史時代の遺構や遺跡、琉球王国時代の小禄間切~
小禄では多くの先史時代の遺構や遺跡が発見されています。
山下町第一洞穴遺跡では、3万2千年以上前の人骨が発見されているほか、約6600年前の爪形文土器が発見された鏡水箕隈原遺跡や約3500~3000年前のジュゴン骨製品や点刻線文系土器が発見された鏡水名座原遺跡があります。

全身が見つかったということで「港川人(約2万~2万2千年前)」が有名になっていますが、山下町第一洞穴で発見された3万2千年以上前の人骨の一部はそれよりさらに1万年古いものとされていますので、小禄がいかに古い歴史がある地域なのかがわかります。
琉球王国時代には「小禄間切」という行政区となり、首里・那覇の町方に対して「地方(じかた)」「田舎(いなか)」と呼ばれる農村地帯でした。
首里・那覇は士族階級が多く暮らし、小禄・真和志は百姓が多く暮らしていたそうです。


上は琉球王国時代の間切図ですが、その右側(詳細をアップ)には、小禄と豊見城の海の境界を示す「海方切」が示されています(分かりやすく赤の点線があります)。争いにならないよう王府が決めていたそうです。
この間切図が、今の地図と遜色なくいかに精度高く作られていたか、が証明された事案があります。
那覇空港の滑走路増設に伴う海上境界線問題として、那覇市と豊見城市では1970年代以降長年争いが続き最終的には裁判に発展しました。那覇市は戦前の専用漁港権に基づいた範囲が境界線と主張、豊見城市は瀬長島北側の海上線と主張。このときに那覇市側の戦前の専用漁港権を裏付ける有力な証拠となったのが、間切図に示されていた「海方切」だったそうです。

尚家と小禄浄土(ウルクジョール)
小禄村小禄では沖縄戦直前まで、村の男たちから選ばれた者4名が、ジョード(浄土)と称してダビ(葬送の意)の鉦打ちを引き受けていました。
小禄ではジョードという名称が公称でしたが、ナンブチャー(念仏者)ともいったそうです。

首里の行脚村(アンニャ村、今の久場川)の「ニンブチャー」や那覇の桂林寺跡に居住した「ボーシチナー」とは区別される存在で、混同されることを嫌ったとされているそうです。
小禄浄土(ウルクジョール)は尚家の葬儀にも参加する格式高い念仏者でした。

東京で亡くなった最後の琉球国王・尚泰を沖縄に迎え入れ、玉陵まで運ぶときの行列に関する記録・明治34年(1901年)8月尚泰様薨去之時御行列方日記には
・浄土宗六人(小禄間切から6人)は尚泰の葬儀に参加
・彼らは小禄間切長(かつての地頭代)を通じて命を受けている
・服装は白衣、白袴。尚家からの支給品
といった内容が残されています。ただ、小禄間切のどこの村が務めたのか、は不明なんだそうです。


尚泰王の長男・尚典候の葬式にも小禄村の各字が参加。(このときは、小禄・安次嶺・垣花)
尚昌以降は東京で葬られたため、尚家と小禄浄土(ウルクジョール)の関係は次第に薄れていったと推測されています。
沖縄戦前、戦後の復興、そして小禄村合併まで

1919年(大正8)、当時那覇区の垣花から小禄を経由して現在の糸満市川尻に至る『糸満馬車軌道』が開通しました。(1939年廃止)

小禄村内には、金城・安次嶺・當間・高宮城(のちの高良・宮城)・具志に駅が設けられました。高宮城駅は今の高良三差路あたりにあったとされています。
当時の小禄地域にはサーターヤー(砂糖小屋。黒糖工場)が数多くありましたので、黒糖も運んでいたかもしれませんね。
馬車軌道のレールの一部が鏡水で発見されていますが、鉄なので戦後も焼けずに結構残っていたそうです。小禄のどこかに、まだまだ眠っているかもしれません。
そして時代は戦後へ…。

上の図の赤い線から西側(當間、安次嶺、鏡水、大嶺など)が米軍が住民の立ち入りを禁止した区域です。
旧小禄村の8割以上の土地が米軍に接収されたのです。
赤嶺・安次嶺・鏡水・大嶺・當間・金城一帯は米軍に占領され、地元に帰れない人々は1946年2月に開放された高良・宇栄原に移住するようになり「津真田」と呼ばれる集落を形成。

多くの小禄村民が密集し生活していく中でその巨大な食料需要への対策として、『高良市場』が設置されることになります。

津真田の人口が肥大化し、移住者ともともとの地権者との間でのトラブルも絶えなかったそうです。
そして移住者の新たな定住地として、1953年、大嶺・鏡水・安次嶺・當間・金城も有志による「新部落建設期成会」が結成。期成会を中心に小禄と田原の畑地等の土地買収と土地造成が急ピッチで進み1954年に区画整理も完了。小禄村に新部落が誕生しました。


それでも小禄地域の宅地難は続き、字鏡水の住民を中心とした漫湖埋立の機運が高まります。
1956年6月から1957年にかけて埋め立て(第1次埋立)、1959年3月に「鏡原町」が誕生します。その後1964年(第2次埋立)、1970年(第3次埋立)、1983年(第4次埋立)と埋め立て現在の鏡原町の形となりました。

1次、2次…と埋め立てごとの外側の境界線が道として現在も機能していますので、埋め立ての経緯を感じることができます。

そして1954年、小禄村・首里市・那覇市が合併。小禄村は那覇市となりました。


那覇市小禄南公民館 令和7年度市民講座【小禄の歴史と民俗】(戦後80周年記念事業)として開催された今回の講座では、先史時代からの小禄の歴史を学ぶことができました。
昨年那覇市歴史博物館で開催された『ウルク今昔 小禄村合併70周年』展では、展示から学ぶ形でしたので、今回、那覇市歴史博物館 主任学芸員の伊集守道さんに詳しく解説いただき、より理解が深まったという方も多かったと思います。
伊集さん、ありがとうございました!
そして企画してくださった小禄南公民館の皆様、ありがとうございました!
戦後、多くの村民が肩を寄せ合って暮らした津真田集落の中心にあった小禄村役場は、現在の小禄南公民館がある場所です。戦後80年にあたる節目の年に、この場所で、小禄の歴史を振り返ることはとても大きな意味があると思いました。
駆け足でのご紹介となってしまいましたが、昨年那覇市歴史博物館で開催された『ウルク今昔 小禄村合併70周年』展の展示の一部を紹介しているパンフレットがあり、那覇市歴史博物館で購入することができます。また小禄南図書館にもありますので読むこともできます。
ご興味ある方はぜひ、ご覧ください。

また、小禄南図書館には、「小禄地域コーナー」があり、小禄地域の各字誌も置いてあります。各字の歴史を知ることができますので、ぜひ一度ご覧ください。

最後に、うるくローカルプレスでは今回の講座に出てきた歴史に関する記事もありますので、こちらもぜひご覧ください!











