ハワイに支えられた小禄の戦後復興『字小禄ハワイ会館』と小禄小学校の図書館『ハワイ記念会館』|那覇市小禄
那覇市小禄にある『字小禄ハワイ会館』。”ハワイ” と名付けられているのを不思議に思う方もいるかと思います。この建物は戦後、ハワイ在住の小禄字人会(旧小禄村小禄、田原出身者ら)から贈られた1万ドルの義援金で建てられたものな…
那覇市小禄にある『字小禄ハワイ会館』。”ハワイ” と名付けられているのを不思議に思う方もいるかと思います。この建物は戦後、ハワイ在住の小禄字人会(旧小禄村小禄、田原出身者ら)から贈られた1万ドルの義援金で建てられたものな…
今回は小禄に残る、風情ある石畳道をぶらっと。そこだけ少し空気が変わり、まるで琉球王国時代にタイムスリップしたかのような、厳かな雰囲気が漂っていました。 ノロが祭祀を行う際に御嶽へ登るための道 県道62号線から森口公園方面…
宇栄原2丁目の大嶺バス停前に『田原公設市場』がありました。(写真は1964年8月15日発行『なは市民の友』第168号に掲載された建物完成図) 市場付きの市営住宅(通常:下駄履きアパート) 『田原公設市場』は8つあった那覇…
戦後すぐ、山下町は”ペリー区”と呼ばれていましたが、そこに『ペリー劇場』という映画館がありました。 その跡地は現在『ペリー保育園』となっており、『ペリー劇場』の初代館主のお孫さんで『ペリー保育園』園長の賀数博さんにお話を…
現在の奥武山付近に、戦後のわずか3年間だけ存在した『みなと村』があったそうです。 米軍統治下の那覇港湾作業のための特殊行政区 『みなと村』は沖縄戦後の米軍統治下において、現在の那覇港周辺地域に作られた港湾作業のための特殊…
今回は『落平(ウティンダ)』をぶらっと。ここは、かつての那覇の水源だったそうです。 琉球王国時代、そしてかつての那覇の貴重な水源 奥武山公園駅から県道7号線に入り、沖縄セルラースタジアムの向かい側に現れる緑豊かな一帯は、…
そこで【うるくにあった映画館】と題し、シリーズでご紹介していきたいと思います。まずは、その1『田原沖映』から。 『田原沖映』は、那覇市字田原 現在の小禄小学校横の坂を登ったところにあったそうです。 小禄で最初の ”有蓋”…
宇栄原団地の歴史を振り返る特集連載『宇栄原団地ヒストリー』。 第3回は、前回に引き続き宇栄原団地自治会長の前花友克さんにご協力いただき、生活の様子などをもう少し詳しく見ていきたいと思います。 水洗トイレ、シャワー、ダスト…
現在の那覇空港敷地内に、かつて『大嶺』という部落があったのをご存知でしょうか。 肥沃な農地と目の前には豊かな海が広がる半農半漁の村で、遠浅の海は干潮時には潮干狩りの場となっていたそうです。砂糖製造も盛んで、3棟のサーター…
今回は『小禄新町(新辻町)』をぶらっと。ここは戦後、賑わった社交街だったそうです。 米軍人向けの社交街として造成 宇栄原3丁目界隈にある『小禄新町』は、国道231号線(那覇空港線)から入り、住宅が並ぶ路地を進んで行くとふ…