今回は小禄に残る、風情ある石畳道をぶらっと。
そこだけ少し空気が変わり、まるで琉球王国時代にタイムスリップしたかのような、厳かな雰囲気が漂っていました。
ノロが祭祀を行う際に御嶽へ登るための道
県道62号線から森口公園方面へ上がる途中、小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)に隣接して細い石畳の道があります。
この石畳道は、ノロが祭祀を行う際に御嶽に登るための道で『神通(カミミチ)』と呼ばれたそうです。
石畳を登っていくと、途中右手に『小禄ノロ殿内(ウルクノロドゥンチ)』前にある拝所『ノロ火の神(ノロヒヌカン)』へ続く入り口があります。
小禄ノロの住んだ殿内(ヌンドゥンチ)に祀られた火の神(ヒヌカン)はたいへん権威が高かったそうです。
小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)
琉球王国時代、首里王府より任命された小禄間切(おろくまぎり)小禄村(むら)のノロの屋敷跡。ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌル」・「ヌール」と呼ばれ、管轄する1~31の村落のウマチー(稲や麦の祭)など農耕儀礼をはじめとする村落祭祀の中心的役割を担った。照屋家は屋号を「ノロ殿内(ヌンドゥンチ)」といい、小禄ノロは代々照屋家の女性から任命された。1879年(明治12)の沖縄県設置により王府の任命によるノロ制度は崩壊したが、小禄ノロ殿内のようにノロが現在でも引き継がれ、村落の祭祀に携わっている地域もある。
那覇市歴史博物館
明治時代の石畳も現存
知らなければ、一見、すーじぐゎー(細い路地)のようにも見えますが、やはり風格があり厳かな雰囲気は神聖な道だからこそなんですね。
”神が通る” と書いて『神通(カミミチ)』。
ノロがこの石畳を登り、御嶽へ向かっていく光景を想像するととても神秘的に感じます。
また、石畳は戦前のもので、明治時代の石畳も現存しているそうです。
いにしえの風情を今に残す貴重な道。
歴史を感じてみたい方、ぜひぶらっと歩いてみてください。
動画でもご紹介しています。歴史を感じる石畳道をぜひご覧ください!
神通(カミミチ)
那覇市小禄161付近