【うるくにあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町 うるくにあった映画館

(写真はかつての小禄琉映館を描いたもの / 作者は儀武息慶さん)

うるくにあった映画館
戦後のまだまだ娯楽の少ない時代に、うるくあった映画館(5つ)をシリーズでご紹介しています。今回はその4『小禄琉映館』です。

かつて、現在の県道7号線「小禄入口」バス停のそばに『小禄琉映館』という映画館がありました。戦後復興の1950年代に開館し、小禄にあった映画館の中で最後に閉館した映画館です(1983年閉館)。

映画は当時10セントくらいで ”3本立て” だった

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
かつての小禄琉映館を描いた絵。円内が作者の儀武さん(77歳)

かつての小禄琉映館を描いた儀武さんは小禄で育ち、幼い頃に見ていた戦後の小禄の景色や情景を描き続けています。映画館周辺の当時の様子をお話いただきました。

儀武さん
小学3年生の頃、小禄琉映館の左隣の瓦家の隣に薬屋があって、母親と歩きながら向かっていると、どこからか親子ラジオから民謡が聞こえてきて母親が立ち止まって聞いていたのを覚えています。右隣の方には広場があって、そこで盆踊りをしていたと思います。その広場には重機やボルトのようなものがいつも置かれていました。

”親子ラジオ” とは、戦後、村役場内に設置したラジオ(親ラジオ)から、有線の通信回線を通して各字の家庭(子ラジオ)へ音楽やお知らせ、ラジオ番組を流していた仕組み(有線共同聴取施設)のことです。沖縄や奄美大島地域で多く普及していたそうです。

また小禄琉映館そばの広場で重機やボルトが置かれていた、というお話では、小禄琉映館が開館後に鏡原町が誕生している時代背景から、漫湖の一部を埋立て、そこに住宅などの建物をどんどん建てていたと思われますので、そのための建築用の重機などが置かれていたのではないかと想像できます。

映画館の前にあるバス停で人が乗り降りしている光景も覚えています。3輪の馬車もあちこちにあって、荷台の空いた所に子どもを乗せて学校まで乗せて行ってくれていました

自動車がまだまだ高価だったのでしょう。小禄に馬車が走っていた光景を見てみたいですね。儀武さんの描いた小禄琉映館の絵の中(左下)に確かに荷車を引く馬の様子が描かれています。

映画は当時10セントくらいだったかと。感覚的には現在の¥2,500ぐらいで ”3本立て” だったと思います。あまり頻繁に観に行けなかったけど、小禄琉映館で最後に観たのは20才過ぎで、石原裕次郎主演の『黒部の太陽』だったと思います。建物正面には映画を宣伝する垂れ幕がありました。
【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
儀武息慶さん(77歳)栄町市場にて『栄町ミート』を経営。「ふるさとで小さい頃に見てきたまちの景色を色々描いていますが、これからも描いていきたいと思います。」

そのほか『小禄琉映館』が映り込んでいる貴重な写真が残っていますのでご紹介します。

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
後方に映る小禄琉映館。殿(トゥヌ)、森口公園方面から撮影?/ 写真提供:高良正夫さん(協力:高良広輝さん
【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
後方に映る小禄琉映館/ 写真提供:高良幸佑さん(協力:高良広輝さん)
【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
写真提供:平良幸夫さん

2階席、立見も。1969年には年間354日上映

1953年~1954年はじめに開館したと思われる『小禄琉映館』。1957年頃から近くの漫湖の一部埋立てが開始され、1960年に鏡原町が誕生した時代背景から、戦後復興、周辺地域の大きな変貌とともに地域住民の娯楽の場として賑わっていたことでしょう。

沖縄県公文書館に保管されている琉球政府主税局那覇税務署の娯楽税資料(常設館映画)に1969年の小禄琉映館の稼働状況が記録されています。

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
琉球政府主税局那覇税務署 1969年1月-12月 娯楽税資料(常設館映画)/沖縄県公文書館保管

この資料によると、
当時の定員は566人で、座席が416(1階席286、2階席130)、立見が150。
その年の上映日数は354日、上映本数は376、入場者数は19,967人で入場料金の合計は10,190ドルとあります。

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
琉球政府主税局那覇税務署 1969年1月-12月 娯楽税資料(常設館映画)/沖縄県公文書館保管

あの場所で年間354日も上映されていたということは、映画が日常の身近な娯楽だったと想像できます。

跡地は現在は駐車場に

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
小禄琉映館跡地

小禄琉映館の跡地は現在は駐車場として利用されています。

【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
【うるく(小禄)にあった映画館】その4 -『小禄琉映館』|那覇市鏡原町
小禄琉映館跡地の向かい「小禄入口」バス停。儀武さんの記憶に残る、たくさんの人が乗り降りしていたというバス停。
参考文献
『沖縄映画興業伝説』
・沖縄県公文書館保管『琉球政府主税局那覇税務署 1969年1月-12月 娯楽税資料(常設館映画)』
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小禄琉映館|那覇市鏡原町

【小禄琉映館 跡地】
那覇市鏡原町26