昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城 コネタ

(写真は、漫湖にて くり船を漕いでいる人 / 那覇市歴史博物館 提供)

うるくのコネタ
戦前、戦後のうるくの古写真をもとにご紹介する歴史ネタや、普段通り過ぎてしまいがちな史跡などをご紹介。うるくの昔と今を知るきっかけに、そしてアーカイブとして残していければと思います。

小禄地域と豊見城市にまたがる『漫湖』。昔は海や湖のように水をたたえていたそうです。

その名の由来は”雄大な風景”から

琉球王朝時代には ”大湖(たいこ)”と呼ばれ、まるで湖のように満々と水をたたえていました。

1600年代半ばに琉球を訪れた中国からの冊封使が、沢山の水をたたえた風景に感銘を受け『漫湖』と名付けたとされています。(諸説あります)

また、奥武山から漫湖に浮かぶ小島だったガーナームイにかけての景色は、名勝中山八景の一つ「龍洞松濤(りゅうどうしょうとう)」としても知られ、かつてのこの一帯がいかに景色の美しいところだったのかがわかります。その雄大な風景は、黒船で有名なペリー提督らからも絶賛されたといわれています。

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
埋立て前の漫湖(1959年頃)壺川、古波蔵を奥武山側から望む。中央の小高い丘は「マカヤ毛」、左側沿岸は埋立て前の「アカバタキー」(那覇市歴史博物館 提供)

埋立てによる干潟化

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壺川より小禄を望む(1958年頃)。左奥のガーナームイ(?)の周辺が多少埋立てられている様に見える。(那覇市歴史博物館 提供)

戦後の居住地確保のための鏡原町建設にあたり、1950年代には漫湖の一部が埋立てられました。

その影響もあり、1960年代以降から干潟化が急激に進み、かつては漁業の場でもあり子どもたちの遊び場でもあった漫湖はその姿を変えていきました。

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ガーナームイの周辺が埋立てられた当時の様子(カメラのたかちよ 上原隆昭さん提供)

【長年小禄にお住まいの高良さんの記憶】

高良さん
アンチャン(オキシジミ?)やクチャアンチャン(マテ貝の仲間?)といった貝に、魚やエビもとったよ。このくらいの(約10cm?)白っぽいエビだった。それからターチャーというウナギの黒いのもいた。魚やウナギは手でとってたよ。水が濁って見えないから、とりあえず手を突っ込むわけ。たまにガザミもいたりしてね。戦後は人骨もよく出てきた。漫湖の水で豆腐も作っていたよ。豆腐は基本的に各家庭で作っていたよ。昔は海(漫湖)に行くとフユーナームン(怠け者)になると言って大人は子どもたちを漫湖に行かせたがらなかった。エビや魚を捕まえるのに夢中になって畑仕事をしなくなるから。だけど3月3日のハマウィ(浜下り)の日だけは堂々と行くことができた。その日は女子どもだけじゃなくて、男もみんな一緒に海(漫湖)に行って遊んだよ。とっても楽しかった。

(漫湖水鳥・湿地センター発行『記憶さんぽ』2021年9月5日発行より転載)

干潟やマングローブなどにより、いろいろな生き物の棲みかに

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
漫湖水鳥・湿地センター提供

干潟となった漫湖にはたくさんの水鳥が飛来し、水鳥たちの「楽園」とよばれるようになりましたが1970年代後半をピークに水鳥が減少。マングローブ林ができ始めたことで干潟面積が縮小したことなどが要因として推測され、マングローブを一部除去し水の流れを確保するなどして干潟の環境回復を行いました。

こうした努力により、今では泥干潟にはカニ類やハゼ類、泥の中には貴重な貝類が生息し、それらを食べるために多くの水鳥が集まってくるようになりました。

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
クロツラヘラサギ (漫湖水鳥・湿地センター提供)

マングローブの根本には小魚たちもいます。豊富な栄養を含む干潟、漫湖には豊かな生態系があり、様々な生き物が暮らしています。

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城

また、2003年には”水鳥と湿地と人をつなぐ場所”として漫湖水鳥・湿地センターが開館。多様な生き物たちを観察でき、展示やイベントなどを通して漫湖の自然について紹介しています。

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
漫湖水鳥・湿地センター|豊見城市豊見城
昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
クロツラヘラサギ (漫湖水鳥・湿地センター提供)
昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城

ハーリーゆかりの地

『豊見城村 文化財要覧』によると、漫湖はハーリーゆかりの地であったようです。
「かつての那覇三村のハーリーは漫湖口(那覇港側)からチィーヤ(津屋)に向けてハーリー舟を漕ぎ(御願バーリー)、チィーヤに着き、城内の豊見瀬御願に参拝したという。ハーリーゆかりの地であるとともに、かつて漫湖が湖上交通の要衝としてにぎわっている頃の船着き場でもあった」

「湖」と書くが実は「干潟」

漫湖は「湖」と書きますが河口にできた「干潟」です。海と同じように潮の満ち引きがあり、満潮時には海の水で満たされ、干潮時には泥干潟が広がります。様々な水鳥の飛来地・渡りの中継地となっており、1999年5月に沖縄県で最初のラムサール条約登録湿地に登録されました。

昔、『漫湖』は海みたいだった? 〜漫湖の遷り変わり〜|那覇市 小禄地域・豊見城市豊見城
※ラムサール条約とは
「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」のことで”総合的な湿地保全”のための条約であり”ワイズユース(賢明な利用)”を義務付けていることが特徴です。

動画でもぜひご覧ください↓

【漫湖の遷り変わり】昔は海みたいだった?

【漫湖水鳥・湿地センター】
豊見城市豊見城982