高良大通りから続く高良市場通りには、戦後『高良市場』があったそうです。
『高良市場』になるきっかけ|夕市(ユサンディマチグヮー)の出現
戦後3、4年経った頃、配給所(現・JA高良支店さんあたり)があった名残りと人口が拡大したことで、マチヤ小が数店出来、その道沿いに、採りたての野菜やイモなどを売る夕市(ユサンディマチグワー)が出現するようになりました。
やがて近隣農家・遠くは我那覇、名嘉地あたりからも農作物や豆腐を売りに集まってくるようになり、その後、近くに市場が出来、高良の商業地域形成の発端となりました。日常的な生活雑貨はほとんど間に合わせられるほどの賑やかな市場になったそうです。(参考資料:『大嶺の今昔』)
戦後の高良市場風景


市場通りと大通りは大変な賑わいだった
農作物は地元や豊見城方面から持ち込まれ、魚介類は字大嶺の漁民たちが獲ってきた物が売られていたそうです。
高良市場全盛の昭和30年前後(1955年前後)には
高良市場に隣接し診療所や料亭、小料理屋、食堂、薬局、公衆浴場などが立地し、南側には露天劇場や小禄村役場(現那覇市小禄公民館敷地)、さらに当時の子どもたちに人気のアイスケーキ製造所が2軒もあったそうです。
高良市場通りを挟んで商店が立ち並び、朝夕は大変な賑わいでした。
高良市場通りとともに高良大通りも商店街化し、豊見城村や兼城村(現糸満市)からも買い物客が訪れ、露天劇場や小禄劇場、小禄銀映などの娯楽施設も連日大入り満員だったそうです。
商店街に映画館が3軒もあったということは当時のうるくの中心的繁華街だったのではないでしょうか。
宇栄原方面からの市場通り:昭和33年(1955)頃

画像提供:高良広輝さん(具志字誌より)

高良市場全盛の頃の高良(昭和20年(1945)から30年後半頃にかけて)

今も残る『高良市場前』バス停
しかし、昭和30年代後半頃には道路交通網の発達により郊外で買い物をする人が増えたり、字大嶺や鏡水など他字の人たちが新部落を建設するなどし、次々に高良地域から移転したことなどから次第に高良市場は衰退していったそうです。
現在、高良市場通りは通り名を残すのみで当時の面影は無く住宅が続いています。
高良大通り沿いにある『高良市場前』バス停が唯一その名を残しています。


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【高良市場】
那覇市高良 高良市場通り付近
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