昨年2025年12月11日、那覇市立宇栄原小学校にて『小禄、宇栄原地区の昔の様子や移り変わりについて』の講話会が開催されました。宇栄原小学校3年生の社会科授業「わたしたちの市のあゆみ」の一環としてだそうです。

講師は字小禄自治会長の高良広輝さん。小禄生まれ・小禄育ちで、小禄地域の情報満載のwebサイト『うるくニッポン放送』を運営しながら、字小禄自治会長や小禄南小学校まちづくり協議会会長など数多くの地域活動をされています。
今回は1時間弱の短い時間でしたが、高良さんが子どもの頃の昔の小禄の様子や宇栄原地域について、クイズを織り交ぜながら生徒さんにお話しました。その様子をご紹介します。
昔の小禄について、暮らしなど

昔は”小禄村” だった小禄地域。畑が多く、主な産業はさとうきびや芋、養豚業も盛んな地域で当時の肥料は人糞だった、というお話も。
戦後の何もない時代。子どもたちは暮らしの中から遊びを見つけていた時代です。
「米軍基地のフェンスが破られている場所から基地へ入ったら、川のせせらぎにグッピーが泳いでいて、持ち帰ったりしていたよ」(高良さん)
また、高良さんの実家の写真を見せながら、昔のお家についてもお話しました。

当時の記憶をもとに書き起こしたという、実家の間取り。

生徒さんたちからは「広~い!」という声も上がりましたが、当初はトイレが外にあったため、夜は怖かったそうです。

そして宇栄原小学校からすぐ、かつての宇栄原団地を紹介。

1963年(昭和38)~1966年(昭和41)にかけて建設された宇栄原団地(宇栄原市営団地)は沖縄唯一の「マンモス団地」でした。
「昔は、今のサンエーうえばる団地店のある場所も、宇栄原団地だったんだよー。大きい団地だったんだよ」という高良さんに生徒さんたちは驚いていました。


そして、みんなが通う宇栄原小学校についてのお話。




校歌にある「まんこしばる」って何でしょうか?
かつてこのあたりは「万越原(まんきばる・まんこしばる)」と呼ばれた丘陵地で、平地へと開拓した後で宇栄原小学校が創立されたんだそうです。それで校歌に出てくるんですね。

宇栄原団地のあるあたりは「吹切原(フッチリバル)」と呼ばれた原っぱで、そこを開拓し宇栄原団地が建設されました。

現在ではそうした地形を感じることはできませんが、生徒さんたちは興味深そうに聞いていました。昔の地名(原名、ハルナー)を見ると、その地形がわかるので面白いです。
さぁ、そして高良さんからの最後の質問です。

「宇栄原(うえばる)団地」
「宇栄原(うえはら)小学校」
同じ地域で、同じ漢字なのに、実は読み方が違っています。
私もそうですが、おそらく多くの方は、”うえばる”小学校と読んでいるのではないでしょうか。
でも正式な呼び方は「宇栄原(うえはら)小学校」です。
沖縄では多くの場合、”原”を”バル”と読みますし、疑問に感じた高良さんは以前に、なぜ読み方が違うのか、那覇市教育委員会に質問したことがあるそうです。
那覇市教育委員会に残る資料によると、その理由は定かではありませんが、どうやら宇栄原小学校の最初の校長先生が ”うえはら” と読み方を決めたようです。(内地出身の先生だったのでしょうか??)

そして最後に、昭和の昔懐かしい羽釜や弁当箱、黒電話や鰹節削り器などが並べられました(いずれも高良さんの私物)。
初めて見る物たちに生徒さんたちも興味津々。高良さんが一つ一つ説明してくれました。




授業に組み込まれた形で、あっという間の講話会でしたが、自分が住むまちの昔の様子に触れ、目を輝かせて高良さんの話を聞く生徒さんの姿が印象的でした。
教科書で学ぶのではなく、実際に昔を知る地域の方から聞くお話はやはり説得力があり、大きな意味があります。
高良さんをはじめ、小禄地域は地域を愛する先輩方がたくさんいらっしゃいますので、ぜひ今後も、地域の先輩方と生徒さんがつながるこうした機会を増やしていってほしいです。
宇栄原小学校の皆様、生徒の皆様、そして高良さん、ありがとうございました。








