戦前、戦後のうるくの古写真をもとにご紹介する歴史ネタや、普段通り過ぎてしまいがちな史跡などをご紹介。うるくの昔と今を知るきっかけに、そしてアーカイブとして残していければと思います。
海軍壕公園内に琉球王朝時代の”火番原(ヒバンムイ)”と呼ばれる烽火台をイメージした時計塔があります。かつてここは琉球を守る重要な拠点の一つだったのです。
琉球王朝時代の通信の拠点
琉球王朝時代、現在の海軍壕公演一帯は烽火(のろし)を上げて進貢船、薩摩船、異国船などの入港を首里王府(首里城)に知らせる”火番原(ヒバンムイ)”があった場所で、当時の通信の拠点だったそうです。

1644年にできた烽火制度によって、沖縄本島や離島の番所に烽火台が設置され、ここもその一つでした。
当時の火番原(ヒバンムイ)をイメージして造られた時計台がその跡地にあります。


※ここでは『火番原(ヒバンムイ)』と漢字表記されていますが、先島のものは「火番盛」、他に「火番森」という表記もあるようです。
眺望の良さから日本海軍の司令部が設けられた
この火番原(ヒバンムイ)には、沖縄戦当時、最後の海軍司令部が置かれました。
司令部壕は全長450mもあったといわれ、4,000名の兵士が収容されていました。
眺望の良さ、当時重要な軍事拠点の一つであった小禄飛行場(現那覇空港)を守るため、南東から見下ろす位置でもあることからこの場所が選定されたといわれています。
この一帯は今も眺めが良く、海軍壕公演からは東シナ海、那覇市街が展望できます。



現在は緑豊かな公園として多くの人に利用されています。

動画でもぜひご覧ください!
【火番原(ヒバンムイ)跡】
那覇市小禄 海軍壕公園内





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