(写真はかつての小禄琉映館を描いたもの / 作者は儀武息慶さん)
かつて、現在の県道7号線「小禄入口」バス停のそばに『小禄琉映館』という映画館がありました。戦後復興の1950年代に開館し、小禄にあった映画館の中で最後に閉館した映画館です(1983年閉館)。
映画は当時10セントくらいで ”3本立て” だった

かつての小禄琉映館を描いた儀武さんは小禄で育ち、幼い頃に見ていた戦後の小禄の景色や情景を描き続けています。映画館周辺の当時の様子をお話いただきました。

”親子ラジオ” とは、戦後、村役場内に設置したラジオ(親ラジオ)から、有線の通信回線を通して各字の家庭(子ラジオ)へ音楽やお知らせ、ラジオ番組を流していた仕組み(有線共同聴取施設)のことです。沖縄や奄美大島地域で多く普及していたそうです。
また小禄琉映館そばの広場で重機やボルトが置かれていた、というお話では、小禄琉映館が開館後に鏡原町が誕生している時代背景から、漫湖の一部を埋立て、そこに住宅などの建物をどんどん建てていたと思われますので、そのための建築用の重機などが置かれていたのではないかと想像できます。

自動車がまだまだ高価だったのでしょう。小禄に馬車が走っていた光景を見てみたいですね。儀武さんの描いた小禄琉映館の絵の中(左下)に確かに荷車を引く馬の様子が描かれています。


そのほか『小禄琉映館』が映り込んでいる貴重な写真が残っていますのでご紹介します。



2階席、立見も。1969年には年間354日上映
1953年~1954年はじめに開館したと思われる『小禄琉映館』。1957年頃から近くの漫湖の一部埋立てが開始され、1960年に鏡原町が誕生した時代背景から、戦後復興、周辺地域の大きな変貌とともに地域住民の娯楽の場として賑わっていたことでしょう。
沖縄県公文書館に保管されている琉球政府主税局那覇税務署の娯楽税資料(常設館映画)に1969年の小禄琉映館の稼働状況が記録されています。

この資料によると、
当時の定員は566人で、座席が416(1階席286、2階席130)、立見が150。
その年の上映日数は354日、上映本数は376、入場者数は19,967人で入場料金の合計は10,190ドルとあります。

あの場所で年間354日も上映されていたということは、映画が日常の身近な娯楽だったと想像できます。
跡地は現在は駐車場に

小禄琉映館の跡地は現在は駐車場として利用されています。



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【小禄琉映館 跡地】
那覇市鏡原町26







