(写真は、漫湖にて くり船を漕いでいる人 / 那覇市歴史博物館 提供)
小禄地域と豊見城市にまたがる『漫湖』。昔は海や湖のように水をたたえていたそうです。
その名の由来は”雄大な風景”から
琉球王朝時代には ”大湖(たいこ)”と呼ばれ、まるで湖のように満々と水をたたえていました。
1600年代半ばに琉球を訪れた中国からの冊封使が、沢山の水をたたえた風景に感銘を受け『漫湖』と名付けたとされています。(諸説あります)
また、奥武山から漫湖に浮かぶ小島だったガーナームイにかけての景色は、名勝中山八景の一つ「龍洞松濤(りゅうどうしょうとう)」としても知られ、かつてのこの一帯がいかに景色の美しいところだったのかがわかります。その雄大な風景は、黒船で有名なペリー提督らからも絶賛されたといわれています。
埋立てによる干潟化
戦後の居住地確保のための鏡原町建設にあたり、1950年代には漫湖の一部が埋立てられました。
その影響もあり、1960年代以降から干潟化が急激に進み、かつては漁業の場でもあり子どもたちの遊び場でもあった漫湖はその姿を変えていきました。
【長年小禄にお住まいの高良さんの記憶】
(漫湖水鳥・湿地センター発行『記憶さんぽ』2021年9月5日発行より転載)
干潟やマングローブなどにより、いろいろな生き物の棲みかに
干潟となった漫湖にはたくさんの水鳥が飛来し、水鳥たちの「楽園」とよばれるようになりましたが1970年代後半をピークに水鳥が減少。マングローブ林ができ始めたことで干潟面積が縮小したことなどが要因として推測され、マングローブを一部除去し水の流れを確保するなどして干潟の環境回復を行いました。
こうした努力により、今では泥干潟にはカニ類やハゼ類、泥の中には貴重な貝類が生息し、それらを食べるために多くの水鳥が集まってくるようになりました。
マングローブの根本には小魚たちもいます。豊富な栄養を含む干潟、漫湖には豊かな生態系があり、様々な生き物が暮らしています。
また、2003年には”水鳥と湿地と人をつなぐ場所”として漫湖水鳥・湿地センターが開館。多様な生き物たちを観察でき、展示やイベントなどを通して漫湖の自然について紹介しています。
ハーリーゆかりの地
『豊見城村 文化財要覧』によると、漫湖はハーリーゆかりの地であったようです。
「かつての那覇三村のハーリーは漫湖口(那覇港側)からチィーヤ(津屋)に向けてハーリー舟を漕ぎ(御願バーリー)、チィーヤに着き、城内の豊見瀬御願に参拝したという。ハーリーゆかりの地であるとともに、かつて漫湖が湖上交通の要衝としてにぎわっている頃の船着き場でもあった」
「湖」と書くが実は「干潟」
漫湖は「湖」と書きますが河口にできた「干潟」です。海と同じように潮の満ち引きがあり、満潮時には海の水で満たされ、干潮時には泥干潟が広がります。様々な水鳥の飛来地・渡りの中継地となっており、1999年5月に沖縄県で最初のラムサール条約登録湿地に登録されました。
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【漫湖水鳥・湿地センター】
豊見城市豊見城982