小禄間切から小禄村、そして那覇市となった小禄地域。
これまでの地域の行政区の変遷をまとめました。
「小禄間切」の誕生
1673年(延宝元・尚貞5)、尚貞王時代に琉球国の行政区として「小禄間切」が誕生しました。
”間切(マギリ)”とは現在の市町村にあたる琉球王国時代の行政区分です。また、各集落は”村(ムラ)”と呼ばれていました。
新設の間切は既存間切を分割創出したもので、
真和志間切から小禄(ウルク)村・金城(カナグシク)村・儀間(ギーマ)村の3村を、
豊見城(トミグシク)間切から、大嶺(ウフンミ)村・宇栄原(ウィーバル)村・赤嶺(アカンミ)村・高良(タカラ)村・具志(グシ)村・當間(トーマ)村・安次嶺(アシンミ)村・𤘩宮城(グシナーグシク)村の8村を分割し、計11村を合併し、小禄間切が誕生しました。
その後、湖城(クグシク)村・松川(マチガー)村・堀川(フッチャー)村・田原(タバル)村の4村が新設され、最終的に15村で構成される間切となりました。
1903年(明治36)10月には集落の統廃合が実施されます。
・那覇と関係の深かった儀間の一部と湖城は小禄間切から那覇区へ編入され、名称も垣花に変更
・田原(タバル)と堀川(フッチャー)を小禄村へ合併
・金城(カナグシク)と赤嶺(アカンミ)を安次嶺(アシンミ)村へ合併
・𤘩宮城(グシナーグシク)と高良(タカラ)を合併し高宮城村となる
・松川(マチガー)を宇栄原(ウィーバル)村へ合併
・儀間(ギーマ)村と安次嶺(アシンミ)村の鏡水原屋取が独立して鏡水(カガンジ)村となる
以上の統廃合により、
小禄(ウルク)、安次嶺(アシンミ)、當間(トーマ)、大嶺(ウフンミ)、具志(グシ)、宇栄原(ウィーバル)、高宮城、湖城(クグシク)、鏡水(カガンジ)の9村となります。
「小禄間切」から「小禄村」に
1907年(明治41)4月、「沖縄県及島嶼(とうしょ)町村制」公布に伴い、これまでの間切島規定は撤廃され小禄間切は「小禄村(そん)」に、各村(ムラ)は「字(アザ)」に変更されました。
1914年(大正3)、湖城(クグシク)村が那覇へ編入。
小禄(ウルク)、安次嶺(アシンミ)、當間(トーマ)、大嶺(ウフンミ)、具志(グシ)、宇栄原(ウィーバル)、高宮城、鏡水(カガンジ)の8ヶ字となります。
1951年(昭和26)4月、字の分割が進み、12ヶ字となります。
戦争により土地台帳や関係図面等が焼失したため、新たに土地の附番・土地所有者の確認や境界を設定するにあたり、
字安次嶺から字金城と字赤嶺を分離、
字高宮城が字高良と字宮城となり、
字小禄から字田原が分離し、
現在のような12ヶ字(小禄、田原、金城、赤嶺、安次嶺、当間、鏡水、大嶺、宮城、具志、宇栄原)が正式に設定されました。
そして「那覇市」へ
1954年(昭和29)9月1日、小禄村は那覇市・首里市と合併。
小禄地域は那覇市となりました。
那覇市文化部文化財課 那覇市歴史博物館発行の『ウルク今昔』に、これまでの地域行政区の変遷が分かりやすく図でまとめてありましたので、以下に掲載させていただきます。
小禄間切番所跡は今も小禄に
小禄間切番所跡には、今も案内板が建てられています。
「小禄村誌」小禄村誌発行委員会
「ウルク今昔」那覇市市民文化部文化財課 那覇市歴史博物館
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