まだまわりに何も無い頃、沖縄のカラオケボックスの歴史がここから始まりました。
金城5丁目にあった『カラオケスタジオWa!』。
40代以上の年齢の方には懐かしいのではないでしょうか?
『カラオケスタジオWa!』は1990年に沖縄本島初の独立型カラオケ店舗としてオープンしました。
今から32年前。まだまだ金城地区に何も無い頃に、沖縄のカラオケボックスの歴史がここから始まったのです。
(今回、『カラオケスタジオWa!』創業者・金城盛徳さんの息子さんで(株)エスエスケイ 代表取締役 金城郁生さんに当時の様子を伺うことができました。お忙しい中ご協力ありがとうございました。)
まだ建物もあまり無かった金城地区
元々金城地区は軍用地として金網に囲まれていましたが、解放され区画整理されました。その当時は住宅も今から建ち始めるような状況で、周りにはあまり建物も無かったそうです。
1990年オープン当時のカラオケスタジオWa! (一時閉店リニューアルお知らせチラシより)
創業者の金城盛徳さんは、商業地域に指定されていた土地の有効活用を考えていた時期に、本土で流行していたカラオケ事業のことを聞き、沖縄の人にも喜んでもらいたい、と県内初のカラオケ事業に挑戦したそうです。
開店前はPTAの反対運動も
当時はカラオケ店のイメージがあまり良くなく、学校が近いということでPTAから反対があり、新聞やテレビでもカラオケ店で起こった事故を取り上げて報道されていたそうです。
そんな大変な中、創業者 金城盛徳さんのお母様の
「歌を歌うことは悪いことね?みんなで歌ったら楽しくなるんじゃないの?」
という一言で気持ちが固まった金城盛徳さん。
それからは沖縄初のカラオケ店という自覚を持ち、
絶対子どもたちの非行の場にしない、
地域の皆様の親睦の場となる施設となることを目標に開店を目指しました。
気持ちを整理後、不思議と周りに協力してくれる方が増え、アドバイスもいただいたそうです。
「開店前は反対運動の中心となっていたPTAの方々も、開店後はご家族で楽しくご利用いただいていたと聞いて微笑ましく感じました。」(創業者 金城盛徳さんの息子さんの郁生さん)
撮影時期不明:昔のカラオケWA!
2006年11月撮影
カラオケWa!に込めた3つの想い
カラオケWA!には創業者 金城盛徳さんの想いが込められています。
1.地域との和(Wa!)を大切に
2.人の輪(Wa!)を大切に
3.楽しい話(Wa!)が生まれる場に
2009年7月に複合施設のWaビルにリニューアルされましたが、
「大きな窓」
「幅を広くした廊下」
「掘りごたつ」
「緑の植栽」
は開店当時の想いを引き継ぐ形にしたそうです。
これらは開店前の逆境の中、周囲から頂いたアドバイスを反映したもの。
落ち着ける空間でお客様が楽しめる親睦の場となるように…の想いをリニューアル後も変わらず引き継ぎました。
一時閉店リニューアルお知らせチラシ
現在はビックエコー田原店
その後、2015年4月~第一興商さんに営業譲渡され、ビックエコー田原店として営業を続けています。
特に40代以上の方にとっては思い出深い、カラオケスタジオWa!。
時代は流れ、形は変わりましたが、今もうるく地域の集いの場として愛されています。
現在のWaビル(ビックエコー田原店は2F)
動画でもぜひご覧ください!
【カラオケスタジオWa!】(現在はWAビル2Fビックエコー田原店)
那覇市金城5丁目1-1
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