宇栄原2丁目の大嶺バス停前に『田原公設市場』がありました。(写真は1964年8月15日発行『なは市民の友』第168号に掲載された建物完成図)
市場付きの市営住宅(通常:下駄履きアパート)
『田原公設市場』は8つあった那覇市公設市場の一つ。市場施設の少ない小禄地区の市民の便利と住宅難を緩和するために、市場付きの市営住宅として1965年(昭和40)に開設され、1階が公設市場、2~4階が市営住宅となっていました。
地域のランドマーク的存在で、地域住民からは”下駄履きアパート”と呼ばれ親しまれました。1964年8月発行の『なは市民の友』168号によると、1階の市場は開放型でデパート式の設計がされたそう。他の公設市場と違い、店舗が道に面する形になっており、当時としては最先端な雰囲気だったのではないでしょうか。
因みに、住宅部分は4畳半・3畳・居間台所の間取りで1戸あたり7.5坪の2DK。広めのバルコニー、シャワー、水洗トイレ付きでだったそうです。当時としては近代的な住宅だったことが分かります。
「ここで何でも揃う」と買物客で大変賑わった
現在は田原公設市場跡から程近い場所で営業する『安室鮮魚店』さんは、市場で40年ほど営業していたそうです。
「あそこは元々、安次嶺・大嶺・鏡水の共同の場所で、そこでみんな野菜や魚などを広げて売っていたの。私も魚を売っていたのよ。その後、那覇市が市場を建てる敷地として買い取って、あそこで売ってた人が市場に優先的に入居したのよ。」
田原公設市場には魚、肉、野菜、乾物、瀬戸物、花、洋服などを扱う店が入居し(16小間あった)、当時の生活に必要なものがここで何でも揃う、と遠くからも買い物客が来て大変賑わったそうです。
「当時は周りに何も無かったから繁盛したねー。おかげで子どもを大学に通わせることもできたしね。」(安室さん)
けれど時代と共に近隣に近代的なスーパーが出来、客足は次第に減っていったといいます。
当時、市場の近くに住んでいた上地政己さんの記憶
市場のすぐ近くに住んでいた上地政己さんが幼い頃の市場の様子を話してくれました。
【お豆腐とシーブン】
【刺身を包む、真っ白で美しい用紙】
この ”真っ白で美しい紙” のことを安室鮮魚店の安室さんに聞いたところ、
「あーそうそう。”アメリカー紙(がみ)” を使ってたね。タイプライターの用紙で、米軍基地から貰えてね。新聞紙くらいの大きさでちょうどよかったよ。」
2011年の廃止後は更地のまま
2011年に、建物の老朽化と早期の建替え等が難しいということ、近隣にスーパーも増え、公設市場はその役割を終えているということから市営住宅と共に廃止に。その跡地は今も更地のままになっています。
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