小禄にある文化財を歩いて巡る『うるくまーい』。
小禄の歴史を感じるスポットをまとめた「歴史散歩マップ 小禄まーい」のなかから、今回は『具志・宇栄原まーい』を歩いてみました。(この記事は後編です。前編はこちら)
那覇市内にある文化財の所在地をまとめたマップシリーズ。
地域別の冊子になっており、小禄のほか首里まーいや真和志まーい、那覇まーいがあります。
また、那覇市全体の文化財をまとめた「かいせつ編」もあります。
那覇市役所10階の文化財課などで販売中。(各100円 / 税込)
歴史散歩マップ「小禄まーい」と「かいせつ編」を手に、具志・宇栄原まーいを歩いていきます。(後編は⑧~⑪までの画像内ピンク枠の部分を歩きます)
※マップの発行が1991年なので、「商店」や「マンション」などの目印は、1991年当時のものということになります。
⑧ヌールガー→⑨具志ウタキ・具志村墓碑
前編では、小禄中学校裏側の森からスタートし、宇栄原地域にある歴史スポットを巡りながら高前原公園まで歩いてきました。
次の文化財へ向かおうと下ヌウタキを出ると、通り沿いに『津真田カー』がありました。マップには載っていませんでしたが、ここも拝所となっているよう。
撮影後に調べてみたところ、このあたりの昔の地名を「津真田(ツマダ)」というのだそうです。
津真田は、小禄の戦後復興が始まった地域でもあり、戦後はバラック小屋が立ち並び、多くの人が住んでいたそう。
高良小学校の校歌にも「あかねの雲に色はえて うかぶゆかりの瀬長島 津真田の丘にそびえたつ 清く明るいまなびやよ」という歌詞があります。
このあたりには、戦後まもなく人が住み始めたというだけあって、古い建物もたくさんあります。
小道を抜けると、小禄南図書館・図書館がありました。
休憩がてら、図書館で地域の歴史を調べてみるのも良いですね!
さらに進むと、高良バス停付近にでました。
近くにはコンビニやお弁当屋さんもあるのでこのあたりで食べ物や飲み物を買うのも良いと思います。
横断歩道を渡り、具志集落へと入っていきます。
マップによると、ここには「商店」があったようですが、今ではアパートになっています。
『ヌールガー』に到着しました。
ヌールガーとは、ノロが水を汲むための井戸のことです。ここは、具志ノロが神事の際、清めの水を汲むために使った井戸だそう。
ノロとは神に仕える女性で、幸せを運び村の繁栄を祈る存在として大事にされていました。
そんなノロさんが使う井戸も、村の人たちが気を使って清掃や管理を行ってきたそうです。
ヌールガーを後にして、続いては『具志ウタキ』。
1995年4月に「具志うたき公園」として整備されたそうで、立派な祠がありました。
『琉球国由来記』に出てくる具志嶽之殿(ぐしたきのとぅん)がここだと考えられており、具志綱引き祭りや「ウマチー」という豊作を願う行事も行われた由緒ある場所だそう。
公園内は芝生がきれいに整備され、座って休める場所もあるので、ここで少し休憩していくのも良いと思います。
具志ウタキのそばには、かつて『具志村墓碑』という墓碑があり、「1687年に具志村の区長が今後のために何かを迎え置いた」という趣旨の文章が書かれていたそう。
墓碑はあるものの何が埋まっているのか分からず、造成の際に「もしかしたら宝物かもしれない」と発掘されましたが何も出なかったそう。今では、散らばっていた骨を埋めたのだろうと考えられており、墓碑は土地を持っていた方の自宅に移してあるそうです。
碑文にある1687年は、日本の歴史でいうと江戸時代。江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉の時代です。
昔のことなので謎が多いのも仕方ないですが、誰が、何のために、何を迎え置いたのか、「今後のため」とはどういう意味なのか、御嶽の近くという場所にも意味があるのか…。
かなり気になりますし、なんだかロマンすら感じてしまいます。
沖縄では昔から、丘のように小高くなった場所に神様が宿るとして大切にされてきたそうです。
具志ウタキのある場所も地域を一望できる高台にあり、とても気持ちの良い場所でした。
⑩ウッカー→⑪原石「ふ」・ミーヤー毛
具志ウタキを過ぎ、マップ上でも「保育園」となっている、はなぞの児童クラブさん裏の階段を降りると、続いての文化財『ウッカー』があります。
ここは、具志の人々が使っていた村ガー(共同井戸)だそう。今ではふさがれていますが、昔は水量も豊かで人々の暮らしを支えたそうです。
また、ウッカーの隣には小さな祠の中に石のようなものがあります。これは「ニービヌフニ」といい、小禄周辺に分布するニービという地質から出る石だそうです。
沖縄では昔から、変わった色や形の石を見つけると拝所に持っていき、御神体として拝むという風習があったそうで、この石もそのひとつのようです。
マップ上では、ウッカーの近くに「アコウの木」があるようですが、見当たりませんでした。目印になるほど大きなアコウの木があったのでしょうか。
ウッカーを過ぎて進むと、具志自治会館がありました。
具志自治会館を過ぎ住宅街の中にある坂道を上っていきます。
マップによると、このあたりに「無名の石敢當」があるようです。
石敢當は、突き当りや交差点に置かれる魔除けの石。
「石敢當」という文字が刻まれているものが一般的ですが、刻まれていないものもあるのだそう。
マップの目印付近で文字の刻まれていない「無名の石敢當」を探してみましたが、それらしいものは見当たりませんでした。また、本来なら石敢當がありそうな場所にも何もなかったので、置かれていた石が撤去されたのかもしれません。
写真の奥に見える木の生えた土手が、具志・宇栄原まーい最後の文化財『ミーヤー毛』です。
『ミーヤー毛』は、村になにかあったときに鐘をたたいて皆に知らせるための場所だったそう。不幸の知らせや、集合の合図など鐘の音によって分けていたそうです。
不思議に曲がった松の木がとても印象的です。
松の木の下のあたりに「ふ くし原」と書かれた『原石(はるいし)』があるそうなのですが、草に隠れているのか見つけられませんでした。
原石とは、地図を作る際にその地域の位置や高さを図る基準として使われたもので、今でいう測量基準点だそうです。
石に刻まれている「くし原」はこのあたりの昔の地名、「ふ」は設置順序を表す通し番号になっているそう。
このように、土手の上に原石を立ててある場所を「印部土手(しるびどて)」というそうですが、印部土手が残っているのは那覇市内ではここだけで、とても貴重な場所なのだそうです。
さぁ、これで『具志・宇栄原まーい』のすべての文化財を回ることができました~!
『具志・宇栄原まーい』は約3km、約5500歩!
『具志・宇栄原まーい』の道のりは約3km、実際に歩いてみた歩数は約5500歩でした。
各文化財をゆっくり見学&撮影し、途中で道を探してうろうろしたり公園で休憩したりといった時間も含め、2時間ほどで回ることができました。
歩くだけなら1時間もかからないと思いますので、軽い運動として歩いてみるのも良いと思います。坂道や階段も多いので、歩きやすい靴で行くのがおすすめです。
各文化財はきれいに整備されていて、今でも地域の人たちに大切にされていることが伝わってきました。古い建物や沖縄らしい風景も多く、歩いていて楽しい「うるくまーい」でした!
長い歴史のなかで無くなってしまうもの・景色もありますが、私たちがよく通る道のすぐそばに、いつも行く場所のすぐ裏に、昔のうるくを紐解く鍵があるのですね。
そういう視点で街を歩くと、見慣れた景色も少し違ったものに見えてくる気がします。
【具志・宇栄原まーい】
那覇市宇栄原・具志
『具志・宇栄原まーい』のルートをGoogleマップに表示しました。
青:『具志・宇栄原まーい』のルート
紫:文化財
赤:その他のスポット
★下記の2箇所は道が細く、Googleマップに反映されないため実際に歩いたルートとは異なります。
・バス通りから⑥マチガーガーに向かうすーじ小
・⑩ウッカーに降りる階段
紫色のピンをクリックすると、各文化財の説明が表示されます。
↓『具志・宇栄原まーい』を歩く際にぜひご活用ください!↓
【前編はこちら】
うるくまーいで歴史発見!『具志・宇栄原まーい』で昔のうるくを探してみた【前編】
動画でもぜひご覧ください!