戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落 うるくまーい

現在の那覇空港敷地内に、かつて『大嶺』という部落があったのをご存知でしょうか。

肥沃な農地と目の前には豊かな海が広がる半農半漁の村で、遠浅の海は干潮時には潮干狩りの場となっていたそうです。砂糖製造も盛んで、3棟のサーターヤー(製糖工場)もあったといいます。

けれど先の戦争が始まる直前に、国家総動員法により国に土地を取られ、大嶺の人々は故郷を離れました。


今回、ご先祖が大嶺部落出身の上地政己(うえちまさき)さんから、

「シーミー(清明祭)のタイミングで那覇空港事務所の許可を得て、親族と共にご先祖様が暮らした土地へ入り、拝所をまわるので同行しませんか?」

とのお誘いをいただき、同行させていただきました。

【大嶺部落について】
半農半漁の村で350世帯ほどが住んでいた。1933年に近接して小禄海軍飛行場が完成。
1941年に国家総動員法により、大嶺集落の半分が接収され、その後1944年には集落全体が土地を取られ、人々は故郷を追われた。戦後は米軍の那覇基地として拡張された。(土地接収は1931年以降5回に渡って実施された)
大嶺や安次嶺など米軍基地に土地を奪われた人々は土地組合を結成、小禄ー田原間に「小禄新部落」をつくり500世帯が移ったという。

約15年ぶりにご先祖様が暮らした土地へ

今年の2月に93歳で旅立たれたお母様のことを旧大嶺部落の拝所に報告したい、という想いから実現した今回の拝所まーい。約15年ぶりに足を踏み入れるそうです。

土地に入る前に、かつての大嶺部落はどこだったのか、上地さんが資料を見せてくださいました。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落
上地政己さん提供の資料|沖縄戦が始まる直前の大嶺部落上空の様子
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こちらは現在と比較した資料|上地政己さん提供

かつての小禄飛行場がそのまま現在の那覇空港になっている様子が分かりやすく確認できます。

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土地接収前1941年頃(昭和16年頃)の字大嶺(大嶺部落)の地図|上地政己さん提供
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写真右:上地政己(うえちまさき)さん|沖縄タイムスの記者さんも同行しました
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上地さん提供資料

今回はこの点線内エリアの拝所(今回は6ヶ所)をまわりました。
因みに、画面上部の赤丸のある場所が上地さんのご先祖のお宅があったと思われる場所だそうです。

先ほどの土地接収前1941年頃(昭和16年頃)の字大嶺の地図をもう一度見てみると

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落

今回まわる6カ所のうち4カ所が当時も記載されていますので、部落にとって大切な場所だったということがわかります。


那覇空港エリア内ということで、入場パスを身につけ、専用車で空港スタッフの方に案内していただきます。

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高良広輝さん撮影

1『龍宮神』

最初は大嶺岬付近の『龍宮神』へ。一旦空港地域の柵を出て、チーシヌ浜を歩いて向かいます。

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『龍宮神』

龍宮の神は、字大嶺の繁栄・航海の安全・豊漁を祈願して約300年前に字民の手で建立されたそうで、かつては漁民が神事を行っていた場所です。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落
第2滑走路作成工事に使われたブロック跡??(正体は不明…)

この20メートルほど先には、かつて大嶺漁民が使用していた天然の生簀がまだ残っていたそうです。
当時は、漁でとったサザエなどの貝をその生簀に夕方入れておき、翌日早朝に那覇の市場へ持って行っていたそうです。

2『ヒージャー川』

次は少し鬱蒼とした森の中へと進んでいきます。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落
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マイナスイオンたっぷりで、まるで斎場御嶽のような神聖さ。
空気がスッと変わったような気がしました。

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『ヒージャー川』
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やはり この雰囲気通り、産湯に使う水を汲んだ由緒ある産川(ウフガー)でした。

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蛇口?のようにも見えるパイプがありますので、もしかしたらここから清水が流れ出ていたのではないでしょうか。

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3『ジンサラン川碑』

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『ジンサラン川碑』
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 拝所の前に広がる景色。空港敷地内にある=許可なしでは入れないことを実感しますね。

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4『ウフグシク』

次の『ウフグシク』は、『大嶺』の名の由来となった場所。

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茂みの中を進んでいくと、小さな拝所『ウフグシク』がありました。

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『ウフグシク』/ 高良広輝さん撮影

その存在を知らないと気づかないかもしれませんね。かつてはどんな形をしていたのか、そもそもこういう形だったのか、気になります。

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『ウフグシク』

上地さんのお話では、『ウフグシク』のあるこの場所が、部落で最も”高い場所(嶺の山頂)”になるそうで、そこから『大嶺』という名前になったんだそうです。

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5『タマグシク』

次の『タマグシク』も一段上がったところにありました。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落
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『タマグシク』
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香炉の先に滑走路、その先に那覇空港自衛隊、そしてその先に移設した新部落の集落が見えます。
いつでもご先祖様が見守っていてくれる感じがしますね。

6 『ビジュル』

そして最後の6カ所目。

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『ビジュル』

上地さんの親族のお話によると、
かつては集落の裏山に共同墓地があったそうで、この場所はその共同墓地付近だと聞いているそうです。

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力石?/ 高良広輝さん撮影

ビジュルの上方に、大きな石を一つ発見。

「あれは ”力石(ちからいし)”かねー?」

と思わず上地さんのご兄弟が持ち上げてみましたが、びくとも動きませんでした笑
上地さんもこの石の存在は初めて気づいたそうです。

ペリー艦隊が残した貴重な琉球の資料

上地さんは趣味で沖縄(琉球)のことを調査していらっしゃるそうです。

きっかけは
「私たちのご先祖様がどのような生活をしていたのか、とても興味深いと思ったので」。

今回、ペリー艦隊の乗組員らが沖縄を廻り、正確な地図と風景、人物画を残していたという資料の一部を見せていただきました。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落

ペリーといえば、現在のがじゃんびら公園下にある山下町は『ペリー・ペリー区』と呼ばれていましたよね。

上地さん、なぜ『ペリー』と呼ばれていたのか、という語源について正確な情報がなかったことも気になっているそうです。(たしかに!)

そのあたり、今後も上地さんと一緒に探求できれば…と思います!

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上地さんがアメリカのオークションサイトで入手した、ペリー艦隊が残したという資料
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ペリー艦隊乗組員らが作製した小禄村地図(水源・海図)
150年以上前に、ペリー艦隊乗組員らは江戸に向かう前に、小禄村内を詳しく調査測量しています。地図には、湧水の場所の他、航路や岩礁、そして水深も細かく記載されていることから小禄村の地元民の協力無しには作製することができなかったと思われます。(上地さん談)

こうした土地があることを多くの方に知ってほしい

約1時間半ほどの拝所まーいを無事に終えて、
「今年の2月に与えられた天寿を全うし93歳で生涯に幕を閉じた母のことを、先の戦争で避難中に亡くなった母の両親と姉らに、生まれ地である大嶺の拝所にて報告できてよかったです。」と上地さん。

戦前に存在した『大嶺部落』の拝所まーいに同行してきた|那覇市大嶺 旧大嶺部落
上地政己(うえちまさき)さん

これまでは嶺の山頂にある拝所(ウフグシク)には入ることが許されなかったそうですが、今回訪れることが出来たことも感慨深かったそうです。

また訪れた拝所の多くが風化による損傷が進んでいたり、草木がジャングルのようになっていて拝所に足を踏み入れることが出来ない場所があることなどがとても気になったといいます。

「戦争を体験した方々がグソー(あの世)に旅立つ中、旧大嶺部落の事を継承することが、戦後生まれの私達に課せられた課題だと考えています。」と上地さん。

今回、お誘いいただいたのも
身近な場所に、こうした土地がある事を多くの方に知ってほしい、忘れられてしまわないようにという想いからだったそうです。


かつては自然豊かで平和だった部落が戦争を背景に土地を奪われ、今では許可なくして入れない旧大嶺部落地域に少しだけ触れることが出来たということは、とても貴重な体験でした。お声がけいただき本当にありがとうございました。

一つ一つ、拝所をまわるたびに
「待っていたよー。よく来てくれたねー。」と迎えられているような、そんな空気を感じました。


現在は県外にお住まいの上地さん。まだ一度も足を踏み入れていない場所もあるそうで、機会を作ってまた来年、訪れたいそうです。その際にはぜひまた同行させてください!

そして最後に、
今回同行する事を快く迎えていただいた上地さんのご親族の皆様、ご親族の貴重な機会に入れていただき、本当にありがとうございました!

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上地さんとご親族(ご兄弟)の皆さん