地域を守る神聖なウタキや、生活用水を汲むだけでなく祈りをささげる場にもなっていたカー(井戸)など、うるくにはたくさんの文化財があります。
街のあちこちに点在する歴史スポットは、普段は通り過ぎてしまいがちですが、昔のうるくの面影が残る貴重な場所です。
小禄を巡る”うるくまーい”で、見慣れた街のなかに残る 昔のうるくを見つけたい!
ということで、小禄の歴史を感じるスポットをまとめた『歴史散歩マップ 小禄まーい』のなかから、今回は『真玉嶽まーい』を歩いてみました。
那覇市内にある文化財の所在地をまとめたマップシリーズ。
地域別の冊子になっており、小禄のほか首里まーいや真和志まーい、那覇まーいがあります。
また、那覇市全体の文化財をまとめた「かいせつ編」もあります。
那覇市役所10階の文化財課などで販売中。(各100円 / 税込)
歴史散歩マップ「小禄まーい」と「かいせつ編」を手に、真玉嶽まーいのスタートです!
マップの発行が1991年と書かれているので、「商店」や「アパート駐車場」などの目印は、1991年当時のものということになりますね。
①イーダ跡→②ハシグチ 昔のうるく集落へ
まずは、イーダ跡。
マップと照らし合わせてみると、おそらく沖縄銀行小禄支店さんの周辺だと思います。
イーとは、畳などを作るイグサのことです。
昔はこのあたりまで漫湖の岸辺だったので、その湿地を利用してイグサを栽培していたそう。
漫湖の埋め立てが始まったのは1960年代からとのことなので、それ以前はこの付近まで湖が広がっていたということですね。
そして、県道7号線沿い、小禄病院の向かいが、地図に書かれている「ハシグチ」のあたりです。
ハシグチとは、村はずれの入口という意味だそうです。
村の入口ということは、漫湖のほとりと人々が住む集落の境目がこのあたりだったのでしょうか。
歴史散歩マップにはスタートやゴールはなく、どこから歩いても良いと思うのですが、このハシグチ(村はずれの入口)から集落へ入っていくイメージでスタートしたいと思います!
県道7号線の1本裏の細い道、スージ小(ぐゎー)を進んでいきます。
居酒屋†五笑門さんとアドリアーノさんのちょうど間に、小さな川が流れていました。
今見ると、この川はどこから?って感じですが、漫湖から続く川だったのですね。
昔はもっと豊かな水が流れていたのかもしれませんね。
スージ小(ぐゎー)を進むと、マップ上では「アパート駐車場」という目印がある交差点にでました。
マップの目印になっている「アパート駐車場」の場所は、現在アパートが建っています。
交差点のそば、花壇の端にとても小さな石敢當を発見!
道が交差しているので、花壇の角を挟んで2つ設置されています。かわいいですね。
③シマダガー→④アモールシガー
スージ小(ぐゎー)を進み、最初の文化財「シマダガー」に到着しました!
ここは、かつての村ガー(共同井戸)です。
昔このあたりは、島田原(シマダバル)という地名で、島田原にある井戸なのでシマダガーというのだそうです。
もともとは野菜の栽培で有名な農村だったという小禄地域。
このあたりにもサトウキビやイモ、野菜などをつくる畑が広がっていたそう。
シマダガーの水は、主に農業用水として使われていたそうです。
案内板の挿絵を見ると、男性たちが鍬などの道具を洗ったり、馬が引く荷車に汲んだ水を運んだりしている姿が描かれています。
当時の沖縄では、井戸は人々の生活に欠かせない水を汲む場所であったのと同時に、祈りをささげる場所としても大切にされてきたといいます。
シマダガーは、そんな昔のうるくんちゅの生活を知ることのできる場所のひとつです。
シマダガーの周辺は、こんな感じの住宅街です。
歴史散歩マップによると、この付近はハル道(畑道)だったそうです。
歴史散歩マップ上で「運送店」となっている場所は、今では駐車場になっていました。
さらに進むと、歴史散歩マップ上で「変電所」となっている場所があります。
変電所横の小道を進み、続いての文化財「アモールシガー」に行ってみましょう。
続いての文化財は「アモールシガー」。
ここもかつての村ガー(共同井戸)で、農業用水や飲み水以外の生活用水として使われていたとのこと。
かつての小禄集落には、18箇所の井戸があったそうですが、そのほとんどは沖縄戦により破壊されてしまいました。
「シマダガー」と「アモールシガー」は、戦前の姿を残す、数少ない井戸なのだそうです。
案内板の挿絵には、収穫した野菜を洗う女性たちの姿が描かれています。
水質が良く水量も多かったので、干ばつ時には宇栄原の集落からも水をもらいに来ていたそう。
井戸口の前に石畳が敷かれ、洗い場として使われていたようです。
集落の女性たちは、ここで野菜を洗いながら”井戸端会議”してたはずね~!
⑤真玉嶽(まだまうたき)
アモールシガーから少し道を戻り「元運送店(現駐車場)」を右手に進むと、真玉嶽まーいの名前にもなっている「真玉嶽」があります。
真玉嶽は、メーヌウタキとも呼ばれ、古くから小禄地域の中心的な御嶽だったそう。
琉球王府がつくった歴史書「琉球国由来記」には、小禄のノロがトモヨセノ御イベという神様をまつったと記されているそうです。
その後、1999年に整備が行われ、小禄地域の御嶽や拝所などが合併されたとのことです。
案内図には造成により配置を変更したことが記してあります。
真玉嶽にある「嶽グサイカー」は、昔の小禄地域にあった井戸をまつったものだそう。
また、真玉嶽には全部で5つの井戸がまつられているそうです。
階段を上ると、広場の前に「ヒヌカン」がありました。
ヒヌカンといえば火の神様で、沖縄では各家庭の台所にあり、家を守ってくれるものというイメージがあります。
実は、各家庭のヒヌカンは、王様のいる首里城のヒヌカンまでつながっていると考えられ、大切にされてきたのだそう。
真玉嶽にあるヒヌカンは、小禄地域のヒヌカンで、各家庭と首里城とを結ぶ中間地点になっているそうです。
各家庭から地域、そして国全体とネットワークのように繋がって、みんなを守っている火の神様。
その中間地点となっているこの場所は、やはり、昔から大切にされてきた場所のようです。
真玉嶽には、小禄地域にあった拝所や御嶽が合併されたそうで、広場には9つの香炉がずらっと並んでいます。
さらに、奥にも「ウナジキバ」という拝所がありました。
こちらも、地域の神様をまつった祠のようです。
真玉嶽がある場所は、このあたりで一番の高台です。
沖縄では昔から、丘のように小高くなった場所が信仰の対象となってきました。
真玉嶽は、そんな昔ながらの自然信仰を感じられるスポットです。
高台なので風が気持ちよく、街全体を見渡すことができる場所。
昔の人が、ここを神聖な場所だと感じた理由がわかるような気がします。
真玉嶽の隣には、小禄自治会館があります。
自治会館の駐車場に、大きな鳥居が。
マップには載っていませんが、気になって覗いてみました。
神社のような立派な建物がありました。
平和記念堂といい、小禄地区の戦没者をまつっていましたが、現在では糸満市の平和祈念公園と合併され、現在では建物だけが残っているそう。
真玉嶽のすぐ隣にありますが、関連したものではないそうです。
平和記念堂を後にして進むと、ブロック塀にぴったりフィットしている自動販売機を見つけました。
ちょうど喉も乾いてきたので、水分補給することに。
ちなみに、ここまでの道のりにも自販機はいくつかありました。
無理せず水分補給しながら†うるくまーいしましょうね。
⑥メーミチ→⑦ターガー
さらに進むと、急にひらけた道に出ました。
ここが「メーミチ」です。
メーミチは、左右の入口は狭いのに、ここだけ道幅が広くなっています。
沖縄の古い集落では、このような広場がときどき見られるそう。
道幅は広いところで15メートルもあり、昔は馬の練習場として使われていたようです。
綱引きや旗頭などはコロナ前まで行われていたそうで、ローカルなお祭りとしてかなり盛り上がったのではないでしょうか。
地図上で「商店」となっている場所は、今では2件とも住宅になっているようです。
ちなみに、この地点を過ぎると飲み物を買える場所がなかったので、ここで買っておくのがおすすめです!
さて、次の文化財を目指して、メーミチを左に進んでいきます。
ちなみに、メーミチを右に行くと、スタート地点の「ハシグチ」に戻ります。
そろそろ疲れてきましたが、あと少し…と思いながら歩いていると、なにやら立派な建物が。
浄土宗のお寺、袋中寺(たいちゅうじ)さんでした。
浄土宗のお寺は、戦前には那覇市に2ヵ所あったそうですが、沖縄戦により焼失。
その後、昭和50年(1975年)にこの場所に再建され、現在まで続いているそうです。
袋中寺を過ぎると、すぐに県道62号線に出ます。
マップ上で目印となっている「自動車整備工場」が現在もありました。
自動車整備工場のそば、ブロック塀に囲まれた場所に、続いての文化財「ターガー」があります。
「ターガー」は、ヌンドゥンチ(ノロの屋敷)が所有する井戸で、ノロが祭事のときに使う井戸だったそう。
県道62号線沿い、車でもよく通る場所ですが、こんなところに井戸があるとは気づきませんでした。
時間をかけて歩いてみることで、いろいろな発見があります。
⑧番所跡→⑨原石「ヨ」→⑩一班ヌカー
ターガーを過ぎ、ボタン式の横断歩道の向こうに見える動物病院。
建物の脇に、ちょこんとある立て看板に番所跡の説明があります。
琉球王国の時代から明治時代の終わりごろまで、小禄地域の役所がここにあったそう。
その後、村役場は安次嶺や高良に移転しました。
1953年(昭和28年)、小禄村が那覇市と合併した年に、宇栄原の郵便局隣に小禄支所が建設されました。
その小禄支所も完成から50年近くが経過し、2021年現在では建替工事が行われています。
続いて、番所跡の案内板横の小さな上り坂を登っていきます。
続いての文化財「原石ヨ」は、民家の庭先にありました。
これは、印部石(しるびいし)といい、地図を作る際にその地域の位置や高さを図る基準として使われたもので、今でいう測量基準点だそうです。
石には「ヨ まへ原」と刻まれており、「まへ原」はこのあたりの昔の地名、「ヨ」は設置順序を表す通し番号になっているそう。
琉球王国では測量技術が発達しており、伊能忠敬が日本地図を完成させるより前に、とても精巧な地図が作られていました。
その時代、印部石は各集落に手入れが義務付けられるほど大切にされていたといいます。
かつては沖縄県全体で1万ほど建てられたという印部石ですが、現在でも残っているものは200ほどだそうですよ。
地図上の目印になっている「ビデオショップ」のあたり。
1991年当時はこのあたりにビデオショップがあったようです。
最後の文化財を目指して、民家が立ち並ぶ道を進んでいきます。
歴史散歩マップでは「ガレージ」と書かれている場所には、現在アパートが建っています。
左側に石敢當、右側にアパートがある間の坂道を進みます。
坂道を登りきり、真玉嶽まーい最後の文化財「一班ヌカー」に到着しました!
小禄地域は、戦前まで9つの班に分かれており、班ごとに違う井戸を使っていたそう。
一班ヌカーは、小禄の村ガーのひとつで、主に1班の人が利用した井戸だそうです。
石碑には「ウィーヌカー」と書かれていますが、これは一班ヌカーの別名です。
坂の上にあるので「上のカー=ウィーヌカー」とも呼ばれていたそうです。
もともと、沖縄は水に苦労していた地域だったので、井戸を大切にしてきました。
井戸が使われなくなった現在でも、こうして香炉が置かれ、拝所として大切にされています。
さあ、これで「真玉嶽まーい」の文化財をすべて回ることができました~!
『真玉嶽まーい』は約1.2km、約4300歩
『真玉嶽まーい』は約1.2kmの道のりで、実際に歩いてみた歩数は約4300歩でした。
撮影しながらでも1時間ほどで回ることができたので、ウォーキングやお散歩コースとして気軽に歩いてみるのも良いと思います。
また、身近なまちの、見慣れた風景のなかに、たくさんの文化財があることに驚きました。
小禄をよく知る方も、まだあまり知らない方も、歩くからこそ出会える風景や新たな発見があるかもしれません。
ぜひ、真玉嶽まーいで昔のうるくを探してみてください!
【真玉嶽まーい】
那覇市小禄
『真玉嶽まーい』のルートをGoogleマップに表示しました。
青:『真玉嶽まーい』のルート
黄:文化財
赤:その他のスポット(自販機など)
黄色のピンをクリックすると、各文化財の説明が表示されます。
↓『真玉嶽まーい』を歩く際にぜひご活用ください!↓